釣り師の品格

静寂の中、炎に癒されて。

 

『沢音を聞きながら、ずっと炎を見ている。』この情景が頭に浮かぶと心がざわつきます。

 

そして何度も心が解放された事を思い出します。

 

長いサラリーマン時代、独立して個人事業主となった現在でも、ざわつきを山の中に置いてくると、本来の自分に戻れる気がします。

 

さて今回は私のちょっと危ない体験を思い出したので(30才代後半の思い出です)、その時の思い出を紹介致します。

 

これを紹介すると私の釣り師としての品格を問われる事になりますが、源流で動けなくなってしまい、天場に戻れず途中で一夜を過ごす事になってしまいそうになった時の思い出です。

 

天場に戻るには夕方四時までに釣りを止め、帰らないと暗くなってしまう事が分かっていたのに、仲間の一人だけが尺岩魚を釣れていなかったので、釣れるまで待ったのですが釣れたのが四時半過ぎ。

 

更にその頃は今思うと恥ずかしいのですが、釣れた岩魚の大半は持ち帰っていたため、それから傷まないように内臓を取り出す処理の作業に時間を取られ、帰りのスタートが五時を過ぎてしまったのです。

 

谷あいの暗さは想像以上、踏み跡を辿れず沢の縁を歩く事に、滑り、転びながら必死に戻ろうとしたのですが、危険と判断しその場で野営をするか、迷い始め決断をせまられる事に。

 

リュックのポケットには非常用の塩や、テント代わりの大きなゴミ袋が三枚、梱包用のビニールひもがあり、百円ライターには着火用のガムテープが巻いてある。

 

これだけあれば腰のナタを使い、何本かの細い木を切り出し簡易なテントができ雨露はしのげる。

骨組みは切り出した細い木をビニールひもで組み立て、大きなゴミ袋は切り開いてガムテープでつなぎ屋根に。

 

食料は岩魚を塩焼きにして、更にリュックのポケットにはチョコレートの塊があり、釣り用のチョッキのポケットには古くなってはいるが、まだまだ食べられる袋入りの飴が5~6個、朝までのつなぎで何とかしようと思案、それに四人いれば怖くはない。

 

岸の平らな砂地で休憩し、周囲を見渡して決断の時の六時半。

 

しかし何故だかさっきまで漆黒の闇であった周囲がうっすらと見える。

闇に眼が慣れたのか、この程度の闇なら歩けそうな気がしてきたが、更に明るさを増してくる。

 

空が明るくなってきたのだ。

 

理由は月が山合いに現れて来たためだ。

何たる好運に感謝、水際を注意深く進む。

 

やがて天場が見えてくると、全員から歓声、何とかたどり着いたが腹は空き切っている。

米を炊くには時間がかかるので、とにかく何か食いたい。

 

そこで持参した直径7センチ、長さ20センチほどの業務用の特大ハムを厚さ6センチ程に輪切りにしてフライパンで焼き、全員に配りむさぼり食う。

その時の感動はなかなか忘れるものではないが、その後何を食べたかの記憶はない。

 

もちろん貴重な体験であったことには間違いないが検証が必要だと考えた。

その後非常時に本当にテントが作れるのか試したことがあるが、とても雨露がしのげるような物にはならない事が判明、その後は薄地のブルーシート3,6×2,7サイズを(ハト目付き)持つことにしている。

 

やはりしっかりとした天場を設営し、焚火の炎を見つめながらうまい料理と美味い酒、これに尽きると思うので、危機管理も合わせてだいぶ進歩している我々です。

 

我々の釣り師としての品格も少しは向上しているでしょうか!? 笑

 

最近は新しい仲間がどんどん増えて、楽しみが増すばかりです。

 

人生の晩年はこうありたいと望んでいた通りになっていきそうな気がします。

 

新たな仲間、募集中です!